カリンバは、夢を囁く。

 ふた呼吸の間があり――やっと心崇が小さく頷いた。
 それをみて、摩利が話し始める。
「まず。眼鏡の彼女は椎木しいのきくるみさん、隣が小野おの夏凜かりんさん、そしてこっちが宮園みやぞの心崇みかさくん。全員、君影高校の同級生。今度二年生になる。四人ともカリンバ部所属。今日のコレは、お察しのとおり、心崇の身の上相談。内容は、彼のお姉さんの宮園鈴乃さんが先週の金曜日から帰ってこないこと。今日が火曜だからいなくなってこれで四日目。これまでこんなに長期に家を空けたことはないし、もちろん連絡がないということも皆無。金曜に心崇が帰宅したときにはもうすでに鈴乃さんは家におらず、通いの家政婦さんにも留守にするとも伝えてない。クローゼットの服の数が異様に少なくなっていること、几帳面な人なのに引き出しやクローゼットの扉が開けっ放しのままにされていたことの他は、おかしなところはないらしい。心崇本人が土日で可能性のありそうなところをいろいろ調べてみたけれど、そのすべてに鈴乃さんは行っていない。日曜の夜に様子がおかしい心崇からぼくが事情を聞き出して、月曜の部活のときにこのふたりに話を聞かれたからわかってることを話した。で、今日は今後の対策をここで検討していたというわけ。ちなみに、鈴乃さんはカリンバ界では超有名なカリンバ収集家『青鈴』その人。以上」
 そこまで一気に話すと、摩利は自分の前に置かれていたオレンジジュースを一気飲みした。
 しばらく誰もなにも言わなかったが、やがて恵がゆっくり口を開いた。
「……摩利」
「ん?」
「あんたって……結構すごい子かもね」
「は?」
 淀みなく簡潔にまとめて語られた事の経緯。恵は単純にそれに感心していた。よくもまああれだけの事情を詰まることなく時系列で簡潔に話したな、と。
「こんな感じなんだけど義兄さん、行方不明者捜索って届けは出せるんだよね?」
 その問いに対して、羽場がやんわりと口を開いた。
「届はもちろん出せるよ。えーと、宮園くん、お姉さんはもちろん成人だよね?」
「……はい」
「うん。お仕事はなにをされてるのかな?」
「一応……個人事業主になると思います。カリンバコレクターであることは日本中に知れているし、カリンバに関する動画配信とか……。あとは手先が器用なので、革製品の小物とかそういうのを作る作家業もやってます。販売はインターネットが主で、全部自分ひとりでやってます」
「そうなんだ。で、突然、家からいなくなった。服がなくなっている、伝言や書置きはない、連絡もない。スマホは?」
「……姉の部屋にはありませんでした。だから、何度もかけてるし、メールとかSNSなんかでメッセージも送ってますが……」
「連絡はつかない、と」
 心崇が頷く。
「最近なにか変わったことはなかったかな。病気をしたとか?」
「……いえ、見る限りいつもと変わりはありませんでした。病院にもかかってはいません。前日も、ライブとかいろいろやってて。依頼が来てる作品の製作もあるって言ってたし」
「じゃあ、家族の中でトラブルとかは?」
「うちは姉と二人暮らしです。ぼくしかいないので、トラブルもなにもありません」
「――そうか。もちろん友達関連とか心当たりに訊いたりはしてるんだよね?」
「はい。ぼくひとりでできないところは、摩利が手伝ってくれてます」
「そして。君がひっかかるのは、お姉さんらしからぬ部屋の状況、か」
 摩利が言ったことを羽場が心崇本人に確認をした。さっきは黙っていた心崇も、今度はゆっくりとではあるがきちんと答えた。
「結論から言うと。行方不明者届は家族なら出せる。ただし、警察は出た届を全部捜査してるわけじゃないんだ」
 話を聞いていた四人の顔に、さっと驚きの表情が浮かんだ。
 行方不明者に対して日本の警察が積極的に動くのは、「事件・事故の可能性がある」と判断した場合になる。その中でも生命や身体、財産に危険が及ぶケースでは、緊急の案件として捜査をする。行方不明者届が出されている行方不明者のうち、事件・事故の可能性、未成年で犯罪に巻き込まれる可能性、遺書などがあり自殺を図る可能性、精神的不安定で危険物を所持し他者に被害を与える可能性、自力での帰宅が困難な可能性がある人物は「特異行方不明者」として原則的に緊急の案件として全国規模で捜査する。そのほかは、「一般行方不明者」となり、積極的な捜索がされることはなく、データを全国で共有し他の捜査や職務質問などで見つかった場合のみ届出人に連絡することになる。さらに、警察では行方不明者を発見しても、身柄を保護する権限がない。見つかった本人に、捜されているという事実を告げるだけだ。捜されているのは成人した大人で、自分の意志で行方不明になっている可能性もあるので、届出人に連絡をするかどうかは本人の意思にゆだねられている。
「それじゃ……届けても捜してくれないの?」
「それひどい……」
 くるみと夏凜がつぶやいた。
「まあね、日本では年間八万人も行方不明になってるんだ。それ全部を捜査してると、凶悪事件への対処ができなくなることもあるからね。捜さないと言ってるわけじゃなくて、全国規模でデータは渡ってるから気にはとめてる。実際、パトロール中にデータ内の人物を見つけることももちろんあるから」
 場の空気が重くなっているのがわかる。現役の刑事が言うことだ、それが現実で本当のところなのだろう。でも、そうなると、鈴乃が自分で帰ってくるのを黙って待っていたほうがいいということになってしまう。
 それぞれがそれぞれに考えをめぐらして黙り込んだ。
「でもね、宮園くん」
 羽場は心崇をまっすぐにみつめた。
「届は、早く出したほうがいい。明日にでも。そして、いまここで話してくれたことを、もう一度担当巡査に言いなさい。それから、自分の環境をちゃんと伝えること」
「……環境?」
「そう。君は、お姉さんが帰らなければ、ひとりだ。君は未成年、しかも家族は誰もいない。これはいろんな支障がでるはずだよね」
 言われてみればそうだ。家政婦が通ってくれるとはいえ、夜はひとりになる。
 羽場は内ポケットから手帳を出すと、なにかを書いて、そのページを破って心崇に差し出した。
「すずらん署の中に生活安全課生活安全総務係ってのがある。そこに書いたけど、そのふたりのどっちかを呼び出して話してきなさい。俺からも連絡しとくから」
 四人の表情がパッと明るくなる。
「そいつらは、親身になって話を聞いてくれるし、必要なことは全部教えてくれるから。あと、お姉さんの部屋、そのままになってるかな」
「はい、手つかずにしてあります」
 心崇の答えに、羽場はにっこり笑顔になる。
「いい心がけ。しばらく誰もなにも触らないで、そのままほっとくように。あとは写真撮っといてくれると助かるかも」
「義兄さん!」
 摩利が立ち上がって叫んだ。
「捜してくれるんですかっ?」
「刑事さんお願いします、鈴乃さんを捜してください!」
「お願いします!」
 くるみも夏凜も立ち上がって頭を下げた。
「刑事の俺にはなにもできひんかもしれん。けど、羽場大起にはできることがあるかもな。せやさかい少し待っとってくれ。ちょっと考えてみるから」
 恵はふっと笑顔になる。
 羽場の口調に関西弁が出てきた。彼が仕事を度外視して動くとき、その対象は「身内」だ。自分にとって大切なものと判断すると、彼は枷を外す。この子たちは彼にとってそういう存在になったらしい。
「っちゅうわけで、めぐ、ぼちぼち時間や。行くぞ」
 立ち上がると、椅子をもとの位置に戻す。恵も本村もそれに倣った。
「姉さん」
 摩利が帰り支度を始めた恵を呼び止める。
「し・ご・と。これから鈴里山公園で撮影だから。そろそろ六時だから、あんたたちも早く帰りなさいよ。それから、心崇くん」
 恵に声を掛けられた心崇が、慌てて椅子から立ちあがった。
 実は心崇は恵の大ファンだ。だから先刻、今まで弟だということを黙っていた摩利の首を思わず絞めてしまった。
「なっ、なんでしょうか?」
 心なしか声が裏返っている気がする。
 恵はコートを着ながら、訊いた。
「家政婦さん、待ってるの? それとも今日もひとり? おうち、留守にすると困ることある?」
 いきなりのおかしな質問だったが、心崇の頭は高速で回転し、コンマ五秒で答えを出した。あいかわらずちょっと声がひっくり返っているしいつにもなくしどろもどろだが、早口でこう答えた。
「いえっ、おしげさんは定時で、っていっても今はこんななので夕方六時過ぎてぼくが帰宅していなければ帰ってもらうことにしてありますし、別に困ることはっ」
「だって、大起。そう言っといて」
 恵の声に羽場が軽く右手を挙げて応えた。見ると、どこかに電話をかけている。その隣で摩利が電話の内容をじっと聞いているらしい。
 心崇とくるみ、夏凜は、三人で顔を見合わせた。なにかが起こっているらしいが、それがなにか想像もつかない。
「愛弓ママ、次はちゃんとゆっくりごはんに来るね。今日はありがと」
 羽場と摩利がなにやらいろいろやっているのを横目で見ながら、恵が愛弓ママに声をかけた。カウンターから出てきたママにきゅっと抱き着くと、頬にキスをする。
「ほな行こか。摩利くん、あとは頼むな。おっと、はい、羽場」
 かかってきた電話を受けながらドアを開ける。
「ありがとうございました。またどうぞ」
 ママの声に送られて、恵、羽場、本村が店を出て行った。
「じゃあぼくらも帰ります。お店、貸してくださってありがとうございました」
 摩利がママに礼を言い、財布を取り出した。
「ああ、お代は済んでるからだいじょうぶよ。さっきめぐちゃんにもらったから。今度会ったらちゃんとお礼言うのよ」
 笑顔のママに送られて、四人は店を出た。
「すっごーい……なんと恵紗羽にサ店おごってもらったんだよ、あたしたちっ」
「これ、自慢していいこと? 自慢していいことっ?」
「ダメに決まってるだろっ、恵さんはお忍びだったみたいだしっ」
 わいわいとはしゃぐくるみ、夏凜、心崇の数歩うしろを歩きながら、摩利は少しだけほっとしていた。
 なにはともあれ、心崇に笑顔が戻った。それが少し嬉しかった。日曜の心崇は、とても見られた顔ではなかったのだ。
 女の子たちをそれぞれの家まで送り、摩利と心崇は並んで夜道を歩いている。
 もうすぐ七時。春はまだ先。あたりはもう暗い。
「ん? なんでついてくるんだ? 摩利」
 いつもの分かれ道で自宅へ帰ろうとした心崇の横を、摩利がいっしょついてくる。
「いいから」
 なにか話でもあるのかと、とりあえず心崇はそのまま自宅へと向かった。
 天気がよかったので、星が出ている。でも寒い。
 自宅までもう数十メートル。心崇は、寒さも手伝って、黙って歩いているのが気づまりになった。
「帰んなくていいのか」
「帰るけど」
「じゃ、なんでついてくるんだってば」
「さっきおまえんちに連絡して、お手伝いさんの許可はとった」
「は?」
「うちには義兄さんが連絡入れてくれて、親もわかってる」
「なにを?」
 そこで宮園家に到着。
「さっさと荷物とってこい、心崇」
「は?」
 荷物? さっさと? 取ってこい?
「なんの話だよ!」
「おまえひとりでここに置いとけないだろ。昼間はともかく、夜はうちに来い。大人同士もう話は付いてる」
「はいっ?」
 摩利は心崇の手から鍵をとるとドアを開け、彼を家の中へ押し込んだ。
「あーもうめんどくせぇ! とっとと入って用意しろ!」
 玄関ホールに置かれた飾り時計が、七時の鐘を鳴らし始めた。