カリンバは、夢を囁く。

「だから、何日ぶりの休みだったと思ってんだよ、ほんとに」
 眞嶋はため息まじりにそう言って、とりあえず椅子に座った。手に持っていたエコバッグを会議テーブルに置く。
「いややわあ、おやすみだから言ってんのよ。アタシたち、公僕ですから」
「そんなことわかってるわよ。でもおやすみはちゃんと休みたいじゃないの」
 隣に座った羽場のにこやかな言葉に合わせた調子で文句を言いつつ、エコバッグの中身をテーブルの上に出す。シュークリーム、パンケーキ、カップに入ったいちごパフェ、ガトーショコラがそれぞれひとつずつ、中華まんが四つ。
 市役所の医務室を出てから、なんだかんだといくつかの場所を回っていたため、まともに昼食も食べていなかった。昼前に買ったパフェとパンケーキは、結局、自分では食べずに他人に譲った。ようやく一息ついて署に戻ろうと時計を見ると、午後九時過ぎ。目の前にいつものコンビニが見えたので、とりあえずいろいろと確保してきたのだ。
「とにかくなんか食わせろ。てか、おまえは食ったのか? 晩飯」
 羽場にそう尋ねながら、濃厚いちごクリーム特盛パンケーキを手に取って封を切る。
「おかげさまで、オムライスいただきましたわよ」
 羽場は、眞嶋より先にパンケーキをひとつとる。
「なんやこれ、めっさうまいな」
「勝手に食うな。てか、俺の休みを返せ」
「なに言うてんねん。場合が場合じゃない?」
「場合が場合でも、それは管轄違いだってえの」
「んな硬いコト言ぃなや、アタシたち公僕でしょ?」
「羽場、おまえな」
「しゃあないやろ。おまえだって心配やろ?」
「まあ……そりゃまあ」
「ご家族の心配はそれ以上や。オレら公僕がお役に立たなあかんちゃうんか?」
「公僕だからルールあるだろが。管轄越境はあとが大変なのはわかってるだろ」
「それだから、よ。それだからこそのおやすみの活用なんじゃないの、やあねえもうわかんないんだから。んもう、まーちゃんの、い・け・ず」
「まーちゃん、言うな。なにが悲しゅうて休みにまでおまえと行動ともにしなきゃなんねえんだ」
「それはオレらが組んどるからやな」
「休みまで一緒にいたくない」
「つれないなあ。ららちゃん、お茶ちょうだい」
 そう言った羽場の背後から、盛大な溜息と心底あきれた声が降って来た。
「おわりました? 漫才」
「誰がお笑い花月劇場やねん。あ、ありがとう。気が利くねえ」
 羽場は、ららが持っていたお盆の上のお茶をとる。
御堂みどうもどうだ? 悪いな、こんな遅くまで付き合わせて」
 ため息をつきながらお茶を出してくれた御堂ららに、眞嶋はスイーツを勧めた。
「ありがとうございます。じゃあ遠慮なく、これいただいていいですか?」
 うれしそうにシュークリームを手に取ると、ららはテーブルをはさんでふたりの前に座った。
 君影すずらん警察署内のミーティングルーム。時間はもうじき午後十時。
 昼に市役所で傷害事件が発生した。被害者は俳優の恵紗羽。事件当時、市役所では二時間ドラマの撮影が行われており、撮影中の恵に不審者が激突してそのまま逃亡。ぶつかられた恵は脳震盪を起こして倒れたが、外傷はほんのわずかなかすり傷だけですんだため夜の撮影には参加している。
 現場は一時騒然としたが、すぐさま報道管制が敷かれて未だ一般にはなにがあったかは公になっていない。市役所でなにかの撮影をしていること、それに地元出身の女優が主演しているということは知れていたが、騒ぎは撮影の一部だったのだろうと思われているようだ。
 恵が所属するプロダクションからは被害届がだされているため捜査対象にはなっており、それには捜査一係があたっている。担当は桑田と原。羽場は恵の親族であるため捜査から外れた。
「だいたいが、おかしいと思ったんだよ。おまえが自分から外してくれって係長に言うなんて」
 そう言いながら眞嶋はパンケーキを口に運んだ。
 聞き込み捜査に回っていた午後七時過ぎに桑田から電話があり、それを知った。捜査一係では「犯罪捜査規範第十四条」を遵守している。曰く、以下の定めだ。

〝(捜査の回避)
第十四条 警察官は、被疑者、被害者その他事件の関係者と親族その他特別の関係にあるため、その捜査について疑念をいだかれるおそれのあるときは、上司の許可を得て、その捜査を回避しなければならない。〟


 しかし、今回の事件についていえば、羽場が「捜査について疑念をいだかれるおそれのある」ことだとはまったく思えない。それよりなにより、羽場のあの性格から考えて、自分が先頭切って捜査に飛び出していきそうなものだ。それなのに外れたと聞いたので、たぶんなにかあると思っていたのだが。
 まさか、失踪人を捜すと言い出すとは。
「ええやん、残されたのが高校生の弟ひとりやで? 他に親族もおらんらしいし、未成年者をほっとくわけいかんやろ」
「そうだな。で? 本音は?」
 眞嶋はららの入れてきたお茶を飲み干すと、席を立ちドアに向かった。
「あ、眞嶋さん、お茶なら入れてきますけど」
 ららも席を立とうとした。が。
「俺、コーヒーな。ららちゃんは紅茶がええよな」
 羽場が眞嶋に向かって自分の小銭入れを投げ、ららには座るように促す。そして。
「本音? そんなん決まってるやんか。おまえは知らんと思うけどな、俺は絶対に週末までにすべてを解決したい」
 飛んできた小銭入れを右手でキャッチした眞嶋の眉が曇る。週末?
「週末。金曜日? それとも土曜? 日曜日? とにかくそれまでには全部解決せなならん。解決して……なんの憂いもなく、Mちゃんのライブみる」
 ……は?
「ちょっと待て、ライブってなんだ?」
「今日の昼のライブ、おまえみてないやろ。市役所に引っ張られてったからなあ。かわいそーに」
「あ」
 そういえばそうだった。カリンバ奏者Mのライブ。今日の午後一時から十五分だけライブをやると告知されていて、たまたま休日になったために絶対見ると思っていたことを、眞嶋はいまさらながら思い出した。
「Mちゃん、今週末にまたライブやんねん。夜ライブ。絶対に、見たい。それには、山積してる問題を全部解決する必要があるっちゅーこっちゃ。Do you understand now?」
 そうだったのか! それで……え?
「ちょっと待て。おまえ、なんで……さぼって見てたのか!?
 ちょうどその時間は市役所の騒動が起こっていたためライブのことなどまったく忘れていた。羽場は別件の捜査に出ていたはずで、もちろん知っているはずがない情報だ。
「人聞き悪いなあ、見てへんわ」
「じゃ、なんでそんなの」
「運転してるとヒマなんや。聞いてた」
 あり得ん……。
「だからやな、ちゃちゃっと解決してライブでMちゃんに会おうやないか、お互い。あ、コーヒーはブラックにしてな」
 にこやかに手を振る羽場を横目で見ながら、眞嶋はミーティングルームを出ると署内の自動販売機に向かった。
 Mのライブ。
 カリンバ奏者Mは、カリンバという楽器が好きな者にとっては憧れだ。難曲を事も無げに弾きこなし、それでいて驕ったところがまったくない。
 君影市は以前から「カリンバ推し」。いったいなぜそうなのか、実際のところ誰も真実を知らないらしいが、とにかく昔からカリンバが市内のいたるところにあふれている。学校教育にもカリンバを取り入れているし、「楽器といえばカリンバ」なのが君影市だ。
 眞嶋は君影市の出身なので、生活の一部にカリンバがあった。ここ最近になってやっと日本全国的にカリンバが知られ始めているが、君影では各家庭に一台はカリンバがあるのがあたりまえなので、眞嶋本人もそれなりに弾くことができる。弾くことは弾けるが、どちらかというと集めるほうが楽しいので、主にそっちに興味が向いている。最近は数が増えすぎて、専用部屋の必要性を感じているくらいだ。という具合いなので、演奏はもっぱら他人に任せている。
 動画配信サイトにアップロードされているカリンバ演奏動画は数あれど、Mは別格だった。収集が趣味になっている眞嶋でさえ、彼女の演奏は必ず見た。羽場もそうだ。普段はカリンバなど別にどうでもいいような顔をして、Mの動画だけは必ずチェックしているらしい。
 Mは、いったいどこの誰なのかはわからない。しかし彼女のカリンバ愛と演奏スキルは本物だし、動画配信サイトおよび各SNSのフォロワーはとんでもないことになっているようだ。近頃は大手出版社のカリンバ楽譜の監修にも携わっているらしい。
 その彼女のライブ。週末に夜ライブ。
「……羽場の野郎……」
 ――黒ずくめ……許さん。おまえがあんなことしなけりゃ、昼ライブもみられたし、まともな休日だったはずなのに……!
 怒りの矛先は、まわりまわって、恵を襲った不審人物に向いた。
 自販機に恨みはないが、かなり乱暴にボタンを押し、缶コーヒー二本と紅茶を買う。
「眞嶋さん」
 背後から声を掛けられて、眞嶋はふと我に返った。
「さっきのなんですけどね」
「ああ、悪いな三田。おかしなこと頼んで」
 鑑識係の三田みた陽太ひなた。鑑識係になって二年目、日向のような笑顔がトレードマークで、署員には「おひさまぼうや」と呼ばれている。署に戻ったときにたまたま玄関で鉢合わせたため、持ち帰った調べものを頼んだのだ。
「いいですけど、これ、どこにあったんです?」
 三田は、ビニール袋に入った品を制服のポケットから取り出した。眞嶋が渡した品だ。
 太さ一から二ミリ、長さ七センチほどの針金のようなものでかなり硬い。かなり古いものなのか色も黒ずんでいる。しかしそれは錆の類ではなく、なにか加工がされているように感じた。
 眞嶋はこれを鈴里山公園で入手した。
「どこって? なんかわかったのか?」
「わかったっていうか、これ、リード――キーって言ったほうがいいのかな、とりあえずそれですよ、たぶん」
 キー?
「かなり古いですね。メッキ加工……? なのかな、なんか色ついてるみたいな感じはするんですけど。ほら、こっち側、ちょっと平たくつぶされてるでしょう? 加工途中なのか古すぎて変形したのかわかんないですけどね、こっち側を指ではじくんじゃないんですか?」
 確かに片方の先端が平たく加工されているように見える。
「キーって……カリンバか?」
「おそらくですけどね。ぱっと見た限りでわかるのはそのくらいです。これからちょっと調べますので」
 カリンバのキー。それがどうしてあんなところから……。
「眞嶋さん?」
 眞嶋がキーを見たまま動かなくなってしまったので、三田は心配そうにビニール袋をひらひらと動かした。
「だいじょぶですか?」
「ああ、悪いな。手間かけるけどとりあえずきちんと調べてくれ。ほら、これもってけ」
 持っていた缶コーヒーを一本手渡す。
「ありがとうございます。なにかわかったら連絡入れますね」
 にっこり笑顔で眞嶋に一礼すると、三田はその場を離れた。
 眞嶋はしばらくその背中を見送っていたが、やがてもう一本コーヒーを買う。
 カリンバのキー。
 だとすると、単なる針金ではなくおそらくはピアノ線の類だ。それがどうしてあんなところから出てくる?
 新しく買った缶コーヒーを持つと、それをみつめたまま廊下をミーティングルームへと向かった。