カリンバは、夢を囁く。
一
「平日の昼間にみんな来てくれてありがとう。それじゃ今日はここまでにしま~す。閉めるね? 閉めるよ? はい、それじゃあ、お元気よう」
〝お元気よう〟
〝ありがとうございました!〟
〝おつかれなさい〟
まだ流れ続けるコメントを目で追いながら、青鈴こと宮園鈴乃はライブ配信終了をクリックした。
ここは鈴乃の仕事部屋。八帖の洋間で、部屋に入ってすぐ右手の壁は大きな書架になっており、部屋の正面壁はテラスに通じる大きな掃き出し窓とその壁際に作業用のテーブルが二台とデスクワゴン、左の壁側はカリンバや小物制作に必要な道具などをしまってあるアンティークチークの大きなポストオフィスシェルフ、右側奥にあるドアで右隣りの六帖間の寝室とつながっている。
この仕事部屋で、鈴乃はいつもいろいろな作業をしていた。手芸小物を作ったり、カリンバ紹介動画を編集したり、今日のライブ配信もこの場所からだった。
鈴乃は小さく息を吐き、いまの自身のライブをちょっと思い返しながら、デスクの上を片づけ始める。
みんな、いい方ばかり。カリンバが好きで、仲間が大切で、優しくて、楽しくて……。
そこで、ふと手が止まった。
テーブルのわきに置いていた一台のカリンバを手に取る。新しく仕入れたのでライブで紹介したものだ。杉材のソリッドタイプ、ピアノ線の十キー。手のひらにのるくらいの大きさ。
いつも試奏で弾いている曲を奏でてみる。
オルゴールに似た澄んだ音が静かに響くが、ワンフレーズだけで弾くのをやめた。
杉材のカリンバをもとの場所に置き、その隣に置いていたもう一台をゆっくりと手に取った。
鈴乃から、微笑みが、静かに消えた。
とても古い感じがする個体。キーも、現在市場に出回っている鋼メインのものではなく、おそらくピアノ線だろう。細いキーを弾くと、やわらかな音がした。
それは、前日の夜、匿名で届いた。動画配信サイトで動画やライブ配信、またネットショップでカリンバ関連小物も販売している鈴乃には固定ファンも多い。ハンドルネームで活動をしているため、贈り物をしたいと言ってくれるファンのために匿名で荷物のやりとりができるネットサービスに登録して、そのサービスのアドレスを公開していた。そこを通していろいろなものが届く。匿名でのやりとりになるため、危険物が送られる可能性を鑑み、内容物の検査はきちんとされている。が、カリンバは楽器、危険物では到底あり得ないため、無事に鈴乃の手元に届いた。
誰が。どうしていま。なぜこんなものを――。
鈴乃は知っている。
これが、完全ではないことを。
そして、本物でもないことを。
ライブの中で、カリンバが送られてきた話を少しして、お礼がしたいからSNSのDMでもいいのでハンドルネーム教えてと呼び掛けてみたが、いまのところ反応はない。
手の中のカリンバを呼吸ふたつ分みつめて、鈴乃はそれをテーブル横のデスクワゴンの一段目に入れ、引き出しを右手で閉めた。
タン!
思いのほか大きな音がして、思わず右手を左手で握りしめ、そして大きく息をついた。
確かめなくては。誰がなにを知っているのか――誰が、真実を、知っているのか。
と。
「姉さん、いい?」
軽いノックの音とともに、ドアの外で声がした。
「どうぞ」
ドアが開き、心崇が姿を見せた。学生服、カバンも持ったままだ。
「おかえりなさい。もうそんな時間?」
鈴乃は腕時計を見ながらドアに向かった。
いつの間にか夕暮れ。高校生の弟が帰ってきてあたりまえの時間だった。
「いつもどおりだよ、もう六時」
「ごはんするね」
「大丈夫、今日はおしげさんが作ってくれてるし。なんか忙しかったんでしょ?」
部屋を出てキッチンへ向かう姉の横を歩きながら、心崇がにっこりとそう言った。
そういえばそうだった。午前中から革製小物の注文品の処理や、午後はライブ配信を予定していたので、通いの家政婦である前田茂子に夕飯を作ってくれるよう頼んであったことを思い出した。
「大変、おしげさん帰る時間なのに待たせちゃった」
鈴乃は、つい小走りになった。いつも挨拶をして帰宅する茂子が待っているはずだ。
「それもだいじょぶ。時間だからちゃんと帰った。ぼくからお礼はしといたから」
「……そう。ごめんね、ありがとう心崇」
ダイニングテーブルの上に用意された夕食をみながら鈴乃は大きく息をつき、食卓の椅子に、とん、と腰かけた。
「ほんと、できた弟よね、あんた。助かるわ」
「なに言ってんの。ぼくがしっかりしてないと誰が姉さんの面倒みるのさ。着替えてくるね」
キッチンを出ていく背中をみつめて、鈴乃はまた大きくため息をついた。
あの子は……なにも知らない。いえ、知らせてはならない……。
玄関ホールに置かれた飾り時計の鐘の音が六回、静かに低く響いた。
鈴乃は気分を切り替えるかのように、勢いよく椅子から立ち上がった。
翌日、心崇が帰宅したときには鈴乃は家にいなかった。どこかへでかけるときには茂子に伝えているし、そうでなければキッチンの壁にかけてあるホワイトボードにスケジュールや伝言を書いておくのが宮園家の暗黙の了解事項になっているが、それもされていない。
急な用事だったのかと帰宅を待っていたが、夜の十時を過ぎてもなんの連絡もなく帰ってもこない。きょうだいふたり暮らしになってから、こんなことはいままで一度もなかった。
しかし、心崇は自分に言い聞かせた。
いいか、落ち着け。お互い子どもじゃないんだ。姉さんにだってぼくに言えないいろいろはあるはず。もしかしたら誰か友達に誘われて遠出してるのかもしれないし、なにか突然仕事で大変なことがあったのかもしれない。しっかりしてるように見えてぼやーっとしたところがあるから大きなミスしたのかもしれないし、もしかしてもしかするとお付き合いなんていうのも…………
「あってたまるか!! 姉さんに手を出すヤツは誰だろうと地獄をみせてやる……」
ふたり暮らしになってしまったのは今から五年前、心崇がまだ小学生の頃。宮園家はかなりの資産家であるため生活はそれほど心配することはなかったが、人が良くなんとなくおっとりした性格の鈴乃のことが心崇の一番の心配事だった。
幸い鈴乃は手先が器用で手芸、工芸、楽器演奏などが得意だったため、いまはそれを仕事にしている。勤めているわけではないので、会社の同僚に惚れられてとかいうシチュエーションはない。しかし、インターネット上で動画配信やネットショップなどをやっていると、不特定多数のファンというモノができることはある。そこから発展して云々ということを考えてしまうと、心崇はいつも我慢できずに叫びだしてしまう。
シスコンだのなんだの言いたいヤツには言わせとけ! 姉さんは、ぼくが守る!
と考えたところで、はっと我に返った。
玄関ホールに置かれた飾り時計の鐘の音。
「……十二時……か」
家のなかをうろうろしていてもしょうがないと気づき、心崇は自室に向かった。
途中、鈴乃の仕事部屋を覗く。
明かりを点け、ちょっと見渡す。
「ああもう、出しっぱなしじゃないか」
夕方見たときには気づかなかったが、作業テーブルの脇のデスクワゴンの引き出しがいくつか開けっ放しになっていた。
心崇はそれを閉め、ついでに隣の部屋へのドアに向かった。部屋に鈴乃がいないことはわかっている。でもなんとなく念のためとドアを開けた。
明かりを点ける。
これまた夕方見たときには気づかなかったが、クローゼットの扉が半開きになっていた。
「もうほんとに。なんなんだよ、もしかしていつもこうなのかな」
ぼくには開けたら閉めろと口うるさく言うくせにと思いながら、心崇はクローゼットの扉を閉め――ようとして、逆に大きく扉を開けた。
服の数が圧倒的に少ない。
小物入れの引き出しが開けっ放し。
いや、それより。
こんなふうに乱雑にものを扱う人じゃないという思いが湧くほど、クローゼットの中身に違和感を覚えた。
「……ねえさん……?」
散らかったクローゼットを見つめたまま、心崇はその場に立ち尽くした。
前
扉
先